年譜
1948年 | 昭和23年 | 0歳 | 9月 | 東京 世田谷に生まれる |
1964年 | 8月 | <青林堂「ガロ」創刊> | ||
1966年 | 昭和41年 | 18歳 | 詩の同人会「しちにん」に参加 | |
12月 | <虫プロ商事「COM」創刊> | |||
1967年 | 昭和42年 | 19歳 |
デザイン事務所に勤めながら 雑誌「COM」へ漫画作品の投稿を始める |
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1969年 | 昭和44年 | 21歳 |
5月 |
「COM」5月号『ひだり手の…』でデビュー |
1971年 | 昭和46年 | 23歳 |
2月 |
「ガロ」2月号『ああせけんさま』入選 |
8月 |
大阪府教育会館で行われた 「まんがフェスティバル」に 手塚治虫・石原春彦氏らと座談会に出席 |
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<結婚> |
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1972年 | 昭和47年 | 24歳 |
『風の吹く頃』 第9回「ビッグコミック賞」佳作入選 |
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1973年 | 昭和48年 | 25歳 | 長女出産 | |
1974年 | 昭和49年 | 26歳 | 次女出産 | |
1978年 | 昭和53年 | 30歳 |
9月 |
「ギャルズライフ」9月号に 長月三津子名義で『わたしの青い星』発表 |
同年「ガロ」12月号に 『ときどき陽溜まりで』を発表 |
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幼稚園の保護者の劇 「三匹の子ぶた」でイラストを担当 右下がやまだ紫 |
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1979年 | 昭和54年 | 31歳 | 「ガロ」2・3合併号より『性悪猫』を連載開始 | |
1980年 | 昭和55年 | 32歳 |
青林堂より処女単行本『性悪猫』上梓 (→90年筑摩文庫 →92年筑摩書房『やまだ紫作品集』5巻) |
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COM時代の初期作品集『鳳仙花』 (ブロンズ社)上梓 |
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初の個展を吉祥寺ライヴハウス 「ぐわらん堂」で開催 |
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1981年 | 昭和56年 | 33歳 |
「ガロ」2・3合併号より 『しんきらり』連載開始
仕事場兼居間でのやまだ紫 |
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『鈍たちとやま猫』(青林堂)上梓 (→92年・筑摩書房) |
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1982年 | 昭和57年 | 34歳 |
『しんきらり』(青林堂)上梓 (→92年筑摩書房 →09年小学館) |
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「新進マンガ家 やまだ紫の世界」特集 「アサヒグラフ」(1982年4月23日号) |
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1983年 | 昭和58年 | 35歳 |
詩人・吉原幸子氏主宰『ラ・メール』にて 詩画『樹のうえで猫がみている』連載開始 その頃のやまだ紫 |
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『はなびらながれ』(青林堂)上梓 (→92年・筑摩書房) |
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<離婚> | ||||
1984年 | 昭和59年 | 36歳 |
『ゆらりうす色』講談社 上梓 (→92年・筑摩書房 →09年・小学館) |
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長井勝一(青林堂 社長・ガロ編集長)が 教える専門学校にゲストとして来校 白取が受け取ったサインとイラスト |
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『続しんきらり』(青林堂)上梓 (→92年・筑摩書房) |
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1985年 | 昭和60年 | 37歳 |
『ゆらりうす色』にっかつ映画 『ベッド・イン』として映画化 |
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現代詩手帖」10月号 詩人・井坂洋子氏との合作『共鳴』発表 |
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漫画+エッセイ集『空におちる』 (河出書房新社)上梓 |
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エッセイ集『満天星みた』 (大和書房)上梓 |
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1986年 | 昭和61年 | 38歳 | 9月 |
『しあわせつぶて』(青林堂)上梓 (→92年・筑摩書房) |
1988年 | 昭和63年 | 40歳 | 3月 |
『ねこになった少年』 (文・征矢清、岩波書房)の挿画を執筆 |
1990年 | 42歳 |
「ラ・メール」連載 『樹のうえで猫がみている』(筑摩書房)上梓 |
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出版記念会館にて 中:永島慎二 右:林静一氏らと談笑 左から南伸坊・上野昂志・やまだ・水木しげる氏 |
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1991年 | 43歳 |
エッセイ集『東京ノスタルジア』上梓 (フレーベル館) |
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1992年 | 44歳 | 筑摩書房より『やまだ紫作品集』全5巻 刊行 | ||
7月 個展『やま猫展3』を詩人・吉原幸子氏の 書肆水族館(東京・大久保)で開催 左端が吉原幸子氏 |
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<板橋区の自宅近くに仕事場を開設> | ||||
1993年 | 45歳 |
青林堂 月刊「ガロ」 2/3合併号がやまだ紫特集号となる |
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『Blue sky』1巻 上梓 (中央公論社96年中公文庫) |
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1994年 | 46歳 |
毎日新聞・生活家庭欄にて イラスト+コラム「お勝手に」を連載 |
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1995年 | 47歳 |
井坂洋子氏との合作を収めた 『夢の迷子たち』(翔泳社)上梓 |
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人生相談連載をまとめた 『やま猫人生放談』(同文書院)上梓 |
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1996年 | 48歳 | 1月 |
「ガロ」編集長だった長井勝一氏が死去 |
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毎日新聞連載中のイラストコラム 『お勝手に』上梓(毎日新聞社) |
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1997年 | 49歳 |
中央公論社より「マンガ日本の古典」 シリーズの21『お伽草子』(描き下ろし)上梓 |
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読売新聞夕刊 三田誠広氏の小説 「恋する家族」の挿し絵を担当 |
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12月 |
個人事務所DIGIPAD(デジパッド)設立 |
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1998年 | 50歳 |
中央公論社「マンガ日本の古典」シリーズが 文化庁メディア芸術祭マンガ部門で大賞を受賞 |
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3月 | 池袋PARCOにて個展『やま猫展Ⅳ』を開催 | |||
1999年 | 51歳 | 板橋区内2箇所にあった住居と仕事場を統合し転居 | ||
毎日新聞社刊「お勝手に」が 中央公論新社より 文庫版『どうぞお勝手に』として刊行 |
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2000年 | 52歳 |
青林堂より復刊した 月刊『ガロ』1月号から 「招く猫」毎月8ページ連載 |
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やまだ紫オリジナル猫ラベルワイン発売
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中央公論社より「マンガ日本の古典」 『お伽草子』文庫版上梓 |
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2001年 | 53歳 |
筑摩書房版に描き下ろした 未収録作品を加えCD-ROM版 『樹のうえで猫がみている』としてデジパッドより刊行 |
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4月 |
新宿ロフトプラスワンでトークライブ ゲストは詩人・井坂洋子、 評論家・上野昂志、白取千夏雄 |
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5月 |
神保町に友人の多田一久氏が 古書「虔十書林」オープン。 看板や袋に入れるロゴ、イラストを担当 (※現在はこちらに移転しています。) |
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2002年 | 54歳 | 右腎臓に腫瘍(腎血管筋脂肪腫:良性)がみつかり手術 | ||
3月 | 白取千夏雄と正式に入籍 | |||
2003年 | 55歳 |
オブティン・フューチャー発行 隔月広報誌「Sara」 カラー2ページの漫画「まどろみの夢」を連載開始 |
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2004年 | 56歳 |
コスモス短歌会の「コスモス」4月号より 毎月詩画集「 見上げれば虹」連載開始 (思潮社版『樹のうえで猫がみている』に収録) |
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11月 |
コミック+エッセイの新刊『愛のかたち』 (PHPエディターズ・グループ発行/PHP研究所発売)上梓 |
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2005年 | 57歳 |
体調すぐれず、たびたび入院 健康診断で夫・白取が白血病の診断と余命宣告 |
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2006年 | 58歳 | 2月 | 吐血入院。原因不明のまま退院 | |
4月 |
京都精華大学マンガ学部専任教授に就任。 京都へ隔週通勤 |
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2007年 | 59歳 | 4月 | 新年度より大学への通勤が毎週となり白取と京都へ転居 | |
11月 |
月刊誌「ダ・ヴィンチ」 一青窈さんとの対談連載(2号に渡る) |
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2008年 | 60歳 | 還暦を迎える。 京都転居以降、体調は良好 | ||
2009年 | 2月 |
白取と南紀白浜~奈良旅行 |
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4月 | 自宅で脳内出血を起こし病院へ搬送・手術 | |||
5月 | 京都大学付属病院脳外科病棟にて、永眠。60歳 |